【世の中の疑問】一般人の多くは、なぜ社会正義に無関心なのか?

政治家の悪事や経済界、宗教界との一線を越えた癒着ぶりは目に余るものがあるのだが、報道機関だけでなく一般人も不正や腐敗という社会の許されない不正義には、無関心な状況だ。
現在の社会には、ルールに違反が行われていても、陰で握りつぶしたりすることができるような権力者と一般人とに対する二重の基準が存在している。

一般人にはあり得ない特権を受けられる人たちのことを「上級国民」と呼ぶ人もいる。
いわゆる上級国民となる政治家、官僚、財界人との3角形の癒着構造は、異本だけでなく多くの国や地域でもつきものだが、この癒着が行き過ぎると社会に多くのロスを生む。

それらの癒着構造は、社会の階級差を固定化させ、だ部分の人からヤル気を取り去っていく。

「いくら、頑張っても報われない社会だ」
「真面目絵に働くだけでは二の目を見ない。損をするだけだ」

このような閉塞感に国民は包まれ、国の勢いがっ低下していく。

不正義に侵されているのは世の中の正義を守る警察機関も例外ではない。
元TBSテレビ記者の山口敬之氏から同意のない性行為を受けたと認定するレイプに関する民事裁判の判決が確定した。
刑事裁判の方は、警察や検察の取り調べ結果によって、不起訴処分となった。このように上級国民と一般人では警察権力の行使の仕方が違うのだ。

このレイプ事件においては、山口記者は警視庁の捜査で逮捕令状まで出ていたが、現在の検察庁長官の中村格(いたる)氏が、当時、警視庁の刑事部長だった時に、逮捕の直前に捜査の中断を命じたという事実がある。
山口記者、中村検察庁長官の双方が、当時の安倍首相の子飼いとされていただけに安倍氏への忖度(または指示)疑惑が湧いてのは言うまでもない。

このような忖度や権力に従順なのが日本人の性質なのだろうか?
日本人の特性として、情に流されてしまって、本来の判断を誤るということが往々にしてある。このことは第二次世界大戦にも顕著に現れた。合理的な作戦判断よりも、陸軍士官学校の後輩のだれだれが、そこまで言うのならとかいうことで最終判断が下されることが何度もあった。

中国、モンゴルなどに進軍していた関東軍はまるで独立軍のように振る舞い、大本営参謀の意見を無視し、精神論に流されて重大な損失を被ることが多かった。

また、有名なビルマ・インド国境に進軍したインパール作戦は、まったく補給(兵站)を無視した作戦だったが、最終的には合理的判断が非難され、軍内部の人間関係が重視されて作戦が了承された。
しかし、その結果は予想通り悲惨な敗北に終わり、多くの兵士が戦うことなく病気や飢餓で命を落とした。

このことは戸部 良一、寺本 義也他著「失敗の本質」に記されいる。この日本人特有の考え方は、現在の日本にも脈々と流れている。

戦争から何十年も経た現在の日本でもこの傾向は治っていない。国を統治する政府や官僚など中枢にいる人の中でも、第2次世界大戦と同様の財務省系、経済産業省系などと出身の象徴で色分けされて行って、その覇権を争っている。その争いには、この国をどうしていくかというようなビジョンはなく、内閣支持率や政党支持率に影響を与える短期的な政策ばかりに力を注いでいる。

もともと、官僚の特質として科学者や研究者ではないため、合理的な政策決定のために科学的なデータを用いて判断することが得意ではない。なぜなら、若い時から、先に結論ありきで、その結論を導くための(ごまかし)データを作成することばかりさせられているからだ。

不思議なことに、政治家は結論ありきでデータでの検証を行わない。仮に行ったとしても、自分たちに都合の悪いデータは、官僚に出させないようにする。そのあたりは官僚も心得たもので、政治家への忖度で都合の良いデータだけを表に出していく。

例えば、ある有力な政治家の指示で有料道路を作るとしても、本当に予想される通行料からすると元が取れないのが分かっているが、道路を作るために政治家に忖度し、有料道路が経済的な合理性と矛盾していないことをあり得ない予測値を作って算出するのだ。

日本がこのように非合理な決定をしている限り、一人当たりのGDPや所得は落ちていくばかりだ。しかし、政治家には痛くもかゆくもないことだ。一番重要なのは、自分が次の選挙で無事に当選することなのだから、そのためにはカルトにでも魂を売るのだ。

では、合理的により正義を守る決断をするためには、どのようにすればよいのか?

それはいたって簡単である。
政府の意思決定のプロセスを徹底的に記録として残し、あとで検証できるようにする。そして、その内容は、情報公開し、特に重要なものについては、情報公開をその重要度ランクによって20年〜50年に設定する。

政治家の決断を後から検証できるようにすれば、おのずと合理的な政策決定が増えてくる。中には密約というものもあるだろうが、密約でさえアメリカでは記録として残されている。しかし、日本の文化は、その時はその時のことで「水に流しましょう」となっていしまい、後々の歴史的判断から逃れようとしている。

結論としては、政府、官僚組織をできるだけガラス張りの組織にすることこそが、情や腐れ縁に基づいた政策決定を排除すし、より正義を実現する最短の道ではないだろうか。

M林檎

Last Updated on 2022年7月24日 by Editor

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