画像:[鈴木美津子ガーデン散歩 VOL 12]
近頃、その輪郭自体が薄れてきたが、日本の四季のそれぞれが、私にとって特別な時間の流れだ。
私は、今、温暖な地方に住んでいるため、本当の意味での冬の静寂は体験することがない。
風の音、水の流れる音、それ以外は何も聞こえない世界のことだ。それを体験できないというのは、生きることにとって、ほんの少しだが寂しいことかもしれない。
ピーンと張りつめた空気、水蒸気がキラキラとこうるような世界に一人だけで埋もれている。それは私自身が世界の一部であると感じられる「一瞬」であるかもしれないし、逆に暖かい血流が鼓動する自己という存在が、この世界と分離していることを感じる利己的な時間の流れの一部なのかもしれない。
冬が到来すると、次に春がやってきてやがて、セミが競って泣き叫ぶ喧騒の夏がやってくる。
湯だつような暑さを避けて、高原に足を向けると、そこは別世界で地上世界の一部にも関わらず、別世界の様相を見せてくれる。
カラ松とその根の周りに張り巡らされたように千綿を覆う蒼い苔。
天から降ってくる光のしずくとカラ松の間を漂う何位とも言えないひんやりとした夏の空気。
地面に広がる苔は、優しく足先をくるんでくれる。
夏の早朝の静寂は、冬の静寂とは異なり、インスピレーションの波動に自分の体内から発する波長が共振し、自分自身が、一瞬、世界に溶け込んでいく。
突然、野鳥の鳴き声尾が静寂を突き抜けて、私自身までやってきたとき、ふと苔むす大地に立ちつくしている我に還る。
なぜ、いつもこうではないのか。
なぜ、いつも他者を攻撃し、不満を漏らす必要があるのか。
今、ここには調和があるのに、人が関われば関わるほど、不調和が世界を覆うのか。
夏の朝は、私がこの世から、別の世界へと旅立つことへのこだわりをほんの少しだけ和らげてくれる。
時を忘れ、このまま永遠の時間の中にとどまっていることだ。
M林檎
Last Updated on 2022年8月18日 by Editor
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