アジアは、個人主義よりも家族主義や集団主義の方が強いと言われている。
しかし、日本は、西洋の個人主義でもなく、中国のような家族主義でもない。
例えば、個人主義のアメリカは、地域の人たちが孤独になったりせず、社会に溶け込むことができるようにコミュニティ活動を重視している。
反対に家族を中心とする中国では、家族や親戚との強いつながりがあり、さらに友人と兄弟のように仲良くなれば、ある意味で法律を超えたところで、関係が成立するという伝統がある。
前首相が、自分の政治理念として「自助」、「共助」、「公助」ということを掲げた。これはもっともなことだ。しかし、実際の社会は、自助できない人への共助の手が容易に差し伸べられることは少ない。
以前、ジャーナリストや写真家が、アフガニスタンやシリアへの取材活動、そしてボランティアあ活動中にイスラム過激主義の戦士たちに捕らえられたときに、すでに日本政府は、渡航を自粛したり、禁止したりしているのだから、そのうえで危険な国へ出ていくことによって生じた結果は、自己責任だということが広く社会に行き渡った。
しかし、他の先進国では異なった。ジャーナリストは命がけで率先して取材活度を行い、貴重な情報をもたらしてくれるので、もしも過激派に捕らえられても、国が必死で救出しようとする。ボランティア活動をしているNGO、NPOに対してもそうだ。
日本は国からして、厄介な問題を起こしてほしくないという姿勢が強く、国民も身代金に国税を使うのはおかしいということになる。
何か、そこには日本国民としての愛情や一体感がないような気がする。
そして、いつも出てくるのは、冷たい「自己責任論」だけだ。
先日、ワンオク(ONE OK ROCK)のTakaが、音楽フェス(サマソニ)のライブではじけて、「もういくら出したって関係ねぇだろ、これもう。俺ら今回のこの夏フェスに臨む前に、どのフェスも出禁覚悟でやってっから、お前ら覚悟しとけよ」と発言をして物議をかもしている。
そのフェスの参加ガイドラインが「大声・歓声禁止」だったからだ。
Takaは、自身のインスタで言い過ぎたことを謝罪したが、火に油を注いだ形だ。
それに加えて、Takaがガーシーと仲がよいことも反ガーシーの人たちから批判を浴びる要因だ。
しかし、世の中に完璧な人間はいないし、ロック・アーティストがたまたまはじけたからと言って、寄ってたかって批判することは、どうなのだろうか。
ルール、ルールの日本は、災害時などの配給では、一列に並び礼儀正しいが、反面、平時には多くの人が「ある意味の縮み思考」や「思考停止」になってしまいやすい。
法律に反しないならば、少々、慣例や社会規範からはみ出る人がいてもよいのではないか。(特に若い人には。でも規則を大事にしている人には、叱られそうだが)
そうすることで、みんながもっと楽に暮らせるし、人と人との関係も構築しやすくなる。
人が人のことを思いやることは、ひょっとしてコミュニティ活動など負担が増えるかも知れない。
しかしm自己責任論で他人との関係を切り捨てるような社会よりは、暮らしやすいのではないか。
私は、Taka、ガーシーのような少々はじけながらも、間違っていたと思ったら、すぐに謝罪する人間が好きだ。
Takaは、ピュアな性格であり、ロックをただのポップミュージックとは考えていないから、感情移入が激しい。ガーシーも、海千山千を相手にして商売をし、稼いだお金でギャンブルにはまって、挙げ句の果てはお金を用意するために詐欺まで行ったが、今は謝罪して、全ての人に返済している。
失敗は、失敗としてやり直せるのだ。レッテル貼りをして、人を貶めるのは止めた方が良い。
古い話になるが、第二次世界太戦後、GHQのマッカーサーが日本を去るときに日本人の精神年齢がドイツや欧米諸国と比較して12歳の小学生並みだと言ったのも分からなくもない。
それから約80年経ったが、日本人の精神年齢は、果たして成長しただろうか。
少なくとも私には成長したようには思えない。(80年前を知ってるわけではないが)
私たちは、安易な自己責任論から抜け出し、多様性を認める社会になり、さらに社会正義を重視する人間を育てない限り、「幸福な社会」とは、政治や宗教のお題目に過ぎないことになる。
レイニーS
Last Updated on 2022年9月17日 by Editor
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