[誰にでもある闇]聖人とされるマザー・テレサにもある疑惑

Mutter Teresa, lachend, Dezember 1985

画像ソース:Wikipedia

マザー・テレサ(Mother Teresa, 1910年8月26日 – 1997年9月5日)は、、1997年9月5日、87歳でこの世を去った。

マザー・テレサは、ローマ教皇庁の了解を得て「神の愛の宣教者会」を設立、そのメンバーは4,000人を数え、123か国・610か所で、活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校などを行った。

マザー・テレサの活動は、貧しい人たちへの救済活動は世界から称賛され、1979年にノーベル平和賞を受賞している。

カトリック信者にとって、一番のの注目は、列聖でるが、マザー・テレサは、2016年9月4日、フランシスコはテレサを列聖し、「聖人である」と宣言した。

これだけ評価された人だけに、多くの批判を受けた。
大きなことは、二つある。・

一つ目は、マザー・テレサは、「死を待つ人々の家」というホスピスを運営していたことが有名だ。
その精神は、貧しくあろうとも尊厳ある死を迎えるべきだという彼女の理念である。

これは誰もが賛同するが、問題は、その運営方法で、設立当初はお金が無く仕方なかったのかもしれないが、ホスピスでは、注射器がろくに消毒されずに使われたり、結核のほか感染病患者を同じ場所に居させていたために他の人に感染し、そのせいで死亡する人も多かったことだ。

さらにマザー・テレサのホスピスが有名になって、寄附が集まってきたにも関わらず、治療すれば治る人までホスピスに入れて、治療をせずにそのまま死を待たせたことだ。
ただ、強い信仰心を持つ修道女たちは、ホスピスの入所者へ親切に対応していたことは確かだ。
ただ、マザー・テレサが、施設設備を整えたり、医療を行える人的資源や医薬品を整えなかったというのは確かだ。

だからホスピスには、医者も置かずに医療には素人の修道女たちが、医療的な判断を行っていた。
元々、マザー・テレサは、本当に死を待つ敷かない人と治療すれば、命が助かる人をまったく区別していなかった。
マザー・テレサは、カトリックの信仰にあまりにも固執していたためか、イエスが十字架で苦しんで死んだように患者が苦しみに感謝して死んでいくことを望んだ。そのためマザー・テレサは、痛みを感じる患者を祝福して耐えさせていた。

だが、この苦しみに耐えると言うことは、マザー・テレサ自身には適用しなかったようだ。晩年、自らが心臓病を煩った際には、設備の整った病院で麻酔をしての手術を受け、ペースメーカーも埋め込んでもらった。
このあたりに、マザー・テレサへの違和感を抱く人が多いのも確かだ。

マザー・テレサが亡くなったとき、マザー・テレサの通帳には48億円があったらしいので、ホスピスでの医療に使用するお金は、あったと思われる。
マザー・テレサは、寄附を集めることにも熱心で、寄附をしてくれる人ならば、犯罪者であろうと、ほとんど相手を選ばなかった。

1981年には、マザー・テレサはハイチを訪れ、独裁的な政治家ジャン=クロード・デュヴァリエからレジオン・ドヌール勲章を受けとっているし、寄附も受け取っている。

事業家のチャールズ・キーティングが事業で失敗し、詐欺事件で起訴されたときには、キーティングの人柄を擁護する陳述書をマザー・テレサが書いて贈ったが裁判官によって無視された。

このキーティングはマザー・テレサに数百万ドルの寄付を行っていたが、マザー・テレサは、被害者側からキーティングの寄付金は、詐欺事件から得た物なので、被害者に返すことを求められたが、決して返すことはなかった。

このようにマザー・テレサがお金にこだわった理由として黒い噂があることも確かだ。
テレサ本人がどこまで関与してたか分からないが、ローマ教皇庁の闇資金に関わっていたのではないかと批判する人がいる。

実際にマザー・テレサは、寄附で集めた資金をローマ教皇庁管轄で、イタリアなどの警察権力の及ばないバチカン銀行に送金していたと言われる。

このことからも、ローマカトリックで聖人に列せられた人も、(神ではなく)人である限り、完璧では亡いことが分かる。

マザー・テレサも、その例外ではない。

レイニーS

(参考:Wikipedia)

Last Updated on 2022年9月18日 by Editor

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