自由になるためには、不自由になる必要がある?


画像:鈴木俊隆老師 by トラベルサライ

私たちは、漠然とだがいつも自由になりたいと思う。しかし、反面、あの人には負けたくないとか、なんで実力もないあの人が私より出世するのか、といった生活する上での不阿万を持っている。
この不満がエネルギーとなり、営業成績を上げたり、仕事を成功に導いたりする。

しかし、おおむね仕事の成果を上げ続けることは出世とか、より多くの収入を得ることと相関しているが、そうとばっかり言えないところもある。
社長のお気に入りの社員が、突然、自分を飛び越えて出世したり、急に親戚の職員が張ってきたりして、自分より上のポジションについたりする理不尽なことは意外とよく起こることである。

悟りを開くことを直接の目的としている禅宗は、悟りという究極の自由な心境になるために修行を重ねる。出家して寺に入ることによって、瞑想、質素な食事、読経、作業といった日々、ほぼ決まった自由のないスケジュールの中で生活する。

その修行の中で、何か不思議な力や、輝くような幸福感を得ようとしている人のほとんどが失望し、禅寺から去っていくことになる。単調で窮屈なスケジュールに縛られた生活は、いずれ時間の無駄ではないかとの疑念を生んでいくからだ。

禅寺の修行は、長い間に培われてきた経験に基づく悟りへの道を開く行動パターンであるが、ひとったび、疑念がわくとその単調で不自由なスケジュールが無意味に思えて、仕方がなくなる。
1年前の私と今日の私とどこが違うのか? と自らに問うてみてもどこも変化がないようにしか感じられない。ここには、私を導く導師はいないと簡単に決めてしまうが、その導師は、あなたの変化を見守り時を待っているかもしれないのだ。

もしもあなたが、現世的な自由の中にいるならば、自分の力だけで本当の自由を得るのは困難だ。何も制約ない世界には、制約を制約と感じさせない人生の師との出会いが必要なようだが、現在の世界では、そのような師となって人を導くことのできる人は少ない。

喩え人生の氏と出会えなくても、いつ起こるか分からない素晴らしい出会に気が付くことが、自由への第1歩だ。

だから一期一会を大切にしなけれならない。

人生は、起こってくることすべてが自分への示唆かもしれないし、ただの偶然かもしれない。
それを感じることができるのは、自分だけなのだ。

M林檎

ジョブズ氏が師事した鈴木俊隆老師の著作です。発売当初、アメリカでは非常に高評価されました。

Last Updated on 2022年8月1日 by M林檎

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