【ライフスタイル】「宗教」がヤバいのか、それとも「信仰」がヤバいのか?

最近、安倍首相の暗殺問題に端を発してカルト宗教の問題が話題になっている。
ここでは、カルト宗教のことを扱うつもりはないが、「宗教」って何なんだろうか? また、「信仰」とは何だろうかと、日ごろから疑問になっている人が多いと思う。

そこでネットで「宗教」と「信仰」を調べてみた。(Oxford Languagesの定義)

「宗教」とは「神または何らかのすぐれて尊く神聖なものに関する信仰。また、その教えやそれに基づく行い。」であり、

「信仰」とは「神・仏など、ある神聖なものを(またはあるものを絶対視して)信じたっとぶこと。そのかたく信ずる心。」とある。

要するに「宗教」は、行いであり、信仰は、信ずる心である。
こう表現すると非常に単純だが、人によって多様な解釈がされているのが現実だ。「宗教」には「宗教教団」という組織までが含まれっるニュアンスがあり、組織や信仰体系を維持するための献金までが含まれる。カルト宗教も宗教の一部であり、カルト信仰とは言わない。

なぜならば、どこの教団にしろ宗教団体にしろ、ほとんどの宗教は、立派な協議を持ち、その部分に反論することはあまりできない。天地創造について、進化論と反したり、科学的な蓄積とは異なることが多いが、教義の中心となる教えで、反社会的な側面を持つことはない(中にはあり得るのかもしれないが)。

それに比べて信仰は、心の問題であり、本来ならば神や仏を信じる純粋なものだが、人を神格化するようになると、話が違ってくる。この部分では共産主義と一部の宗教も、ほとんど同じだ。
日本でも天皇陛下を神格化するために戦前は「現人神」と言っていたが、人を対象に信仰を始めること自体に独裁主義の匂いがしてくる。

騙されて人を信仰すること以外では「信仰」は、内面のあり方のことであり、そこには「祈り」が大きな部分を占める。祈りには「感謝」や「願い」が含まっれるが、現世利益的な傾向の宗教を除けば、祈りにより、教義にある神や神の教えを心にしみこませるものだ。その信仰を発展させると、様々な行動につながるが、それを体系的に構成された組織で管理しようとするのが宗教または宗教教団だ。

従って、信仰とは個人が神と向き合うことであり、人は向き合う神の教えにそって行動し、再び、祈りをささげる。そういう意味で、信仰の中心は、祈りであり、仏教のばあであれば、お経の意味を理解し、お経をあげ、心の平安や家族や世界の平和を願うことである。

宗教が一番、誤解されるのはいわゆる「献金」とか「お供え」の問題である。信仰、すなわち心と心から発す誠の行動を重視する宗教ならば、献金はおおむね、収入の10分の1が目安となっているが、貧しいものは、献金やお供えを求められることはない。また、10分の1といっても、ただの目安に過ぎず、強制されることはない。

10分の1以上の多額の献金やお供えを要求するような宗教及び宗教教団は、はなから信仰の目的からはずれているといってよい。

おそらくそのような宗教に属している人は反発するだろうが、全財産を寄附することが条件となっているような宗教は、トラブルの発生源となる。キリスト教でもそのような教えはあるが、それは修道院に入る場合などに適用されるだけで、洗脳により行われるものではない。

献金にこだわる宗教は「世界平和のためにお金を使うのだから、払える人は払えるだけ献金したらよいだ」と主張することは目に見えている。政治家を応援して政治にかかわるのも、「この世で楽園を実現するために政治家の力を使うことに何の問題があるのか」とうそぶくのだ。

この世で起こることは。この世の言葉でどのような意義づけもできる。宗教は、そのあやふやな言葉の意味や解釈を利用して人を欺いている。

個人的には、(もし信仰するならば)自分で自分の存在を見つめる信仰に重きを置きたい。それは宗教だけに関わらない普遍的な行いだからだ。

だが、禅とかチベット仏教のように偉大な師に師事するとによるメリットを説いているが、これにも相性があるようなので、一概にこれが良いとは言えない。
信仰とは、私たちが思っている以上に「在り方」がまちまちだ。

Last Updated on 2022年7月16日 by Editor

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