【ライフスタイル】挑戦し続けた人生

本田宗一郎は、1906年(明治39年)に生まれ-、1991年(平成3年)に85歳で亡くなりました。彼には、非常に興味深い人物で、彼らを象徴する話があります。

それは本題宗一郎氏が、腹心の副社長、藤沢武夫氏と料亭に飲みに行っても、他の会社の社長たちとは違い、会社の経費を使わずに必ず自分たちで支払ったそうです。また、彼らが素晴らしいのは、自分たちの身内を後継者とせずに、本題宗一郎は六六歳で社長の座を後進に譲りました。これはなかなかできないことです。

本田宗一郎の素晴らしいところは、そのチャレンジ精神と平等の精神です。
一九五四年、本田(HONDA)が危機的状況に陥っていたとき、副社長の藤沢のススメでイギリスのマン島での二輪レースへの参加を宣言しました。

最初は、何を考えているのかとあざ笑われましたが、1962年には優勝を勝ち取り、本田は二輪での不動の地位を勝ち取ります。その後、1964年から自動車レースの最高峰、F1に参戦し、見事優勝を勝ち取り、その後、参戦と撤退とを繰り返していますが、これだけ長期間、F1に参戦しているのは、日本では本田だけです。

また、本田宗一郎が素晴らしいのは、その残されている数々のエピソードです。(Wikipedia)「社長退職後、全国のHondaディーラー店を御礼参りする。その際、整備担当が握手を求めたが、自分の手が油だらけなことに気がつき、洗いに行こうとする。しかし、本田は自らも技術者であったため、油まみれの手での握手に喜んで応じた。」

「自動車会社の創業者の自分が葬式を出して、大渋滞を起こしちゃ申し訳ない」という遺言を遺し、社葬は行われなかった。

以上紹介したように本田宗一郎氏は、自分に利益誘導する多くの経営者とは違い、希有な経営者です。
しかし、本田氏がそのようにできたのは、腹心の藤沢氏が支えてくれたからです。

本田氏は、藤沢氏を信頼し、お金のことは全て藤沢氏に任せました。本田氏は、そのような有能な腹心を得たことは幸運でした。

世の中の成功者のほとんどが、有能な腹心に支えられて、事業を成功させています。ソニーの盛田昭夫氏には、井深大という腹心がいましたし、前述のスティーブ・ジョブス氏には、オペレーションの天才と言われるティム・クック氏がいました。

誰しも成功を成し遂げることはできません。サポートしてくれる人材がいてこそ素晴らしい実績を残せます。多くの成功者は、人を惹きつける人間的な魅力を持っています。

Last Updated on 2022年6月29日 by Editor

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