日本は、戦前、戦後を通じて企業中心の社会を通してきた。
1960年代の高度成長期には、当時の通商産業省(現経済産業省)が中心となって、護送船団方式と言われる中央集権的な経済政策をとってきた。
しかし、1990年以降は、自由貿易体制により、巨大なグローバル企業誕生し、ものの生産は、賃金の安い中国へシフトし、日本国内の製造業は空洞化していった。
その後、経済産業省は、ものづくり日本を取り戻そうとして経済政策を立案するが、グローバル化の時代に残したのは、地方のシャッター通り商店街だった。
グローバル化により、経済産業省による国内の経済政策の必要性は、薄れていったが、経済産業省は、独自の政策に拘り続け、「日の丸液晶」としてソニー、東芝、日立のディスプレイ部門を一つの企業として立ち上げさせたが、いまだに業績不振である。
その代わりに台湾の鴻海(ホンハイ)に買収されたシャープは、倒産寸前から見事に経営再建を果たした。
おそらく日本の経済政策に書けているのは、国による関与ではなく、優れた経営者が出てくる土壌を作ることなのだ。
かつては、条件取引委員会は、ホリエモンを証券取引法違反で告発し東京地検立件したが、東芝の粉飾決算は、黙認されたように法の下の平等は怪しい。
あくまでもこれまで国に協力してきた経団連傘下の企業が保護される体質は継続している。
グローバル化が進むと、国内企業を通じた経済政策は意味が薄れてくる。さらに、今後は企業による新卒から定年までの雇用体制は崩壊していく。
日本は、これまで人材の流動性が低かったが、これは企業を中心とした経済政策の影響を大きく受けている。企業が給料を支払い、企業が国税に代わって源泉徴収をする。経済政策による補助金は、企業へ交付され、開発が成功しても、個人への還元は非常に微々たるものである。
果たして、これで良いのだろうか?
日本は、戦後の経済政策を個人重視へと方向転換する岐路に立っている。個人が、起業し、仮に失敗しても、これまでのように一生立ち直れないほど借金を背負ってしまうようなことはあってはならない。
一度失敗しても個人の再チャレンジが可能な、フレキシブルな経済政策をとる必要がある。この転換に失敗すると日本は、本当に沈没してしまう。
Last Updated on 2020年6月16日 by Editor
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