【世界終末】ファティマ第3の予言(秘密)が実現しそうな世界!


(一番左がルチア)

1916年の春、ポルトガルの山間部サンタレン県で不思議な出来事があった。羊飼いの3人、ルチア、フランシスコ、ジャシンタという3人子どもの前にある日、聖母マリア(らしき女性)が現れたのだ。突然、柊の木の上に浮かぶ聖母マリアは彼らにこう告げました。

これから6ヶ月間、毎月13日にここに訪ねてきなさい。

毎月、3人の子供が聖マリアからのお知らせを聞いているということが大人たちに知られるにつれ世間では大騒ぎとなった。
そして、1917年10月13日の出現最後の日、集まった群衆は約7万人にも及んだ。多くは興味本位で集まった聴衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。このことは奇跡として、当時のポルトガルの地方紙に掲載されている。

ファティマの聖母は、ポルトガルの小さな町ファティマで起きた、カトリック教会が公認している、聖母の出現の一つ。ローマ教皇庁は奇跡として公に認めたが、第三の予言は長年にわたり秘匿した[1]。何万もの群衆を前に太陽が狂ったように回転して見えたり、水源のないところから水が湧き、飲む者に奇跡的な治癒があったりしたことから、1930年10月13日現地管区レイリア司教によってこの出現は公認され、同年教皇ピオ12世は同地に巡礼する者への贖宥(免償)を宣言した。1967年には教皇庁により最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定され、歴代ローマ教皇が巡礼に訪れたり、この出現のメッセージに基づき世界の奉献を行った。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D

ファイティマに出現した聖母(とされる)マリアからの予言は、3つあり前の2つは、第1次世界大戦の終了と第2次世界大戦の勃発と言われている。

問題は、第3の予言で、これが秘密にされていたため「ファティマ第3の秘密」として世界中に流布した。特にマリア出現でマリアから聞いた話を唯一生き残った(他の2人は早死する)ルチアは、修道女になり、1960年になったら、この予言を公開するようにとのマリアからの話しを添えてローマ教皇庁へしたためた予言文章を提出したが、結局、当時のローマ教皇は、ルチアが伝えた予言を公表せず、やっと2000年になってから、教皇庁教理省からの冊子として世に公表したが、その内容があまりにも平凡であったので、本当の予言は隠し続けチエルのではないかとの疑惑が消えていない。

以下が、予言に関する公文書である。

「ファティマ 第三の秘密 教皇庁発表によるファティマ『第三の秘密』に関する最終公文書」(教皇庁教理省)

すでに述べたあの二つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。それからわたしたちには、計り知れない光―それは神です―の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。「それは教皇だという感じでした」。そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂の為に祈っておられました。それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、そして様々な階級と職種の平信徒の人々も次々にそこで死んでいきました。十字架の二つの腕の下にいた二位の天使は、おのおの手にした水晶の水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。 トゥイにて 1944年1月3日
— 教皇庁教理省『ファティマ 第三の秘密』20-21頁

ローマ教皇庁の公式見解はでは、この内容はヨハネ・パウロ2世は、ファティマ出現記念日[12]である1981年5月13日に発生した事件を東欧の政権による暗殺未遂と発表している。

ここで言えることは、おそらくこの発表は目的は明らかではないが、ごまかしに過ぎないことだ。本当の予言内容は、そんな甘いものでは無いということだ。上記の公文書の中にローマ教皇や司教、司祭などが、銃で殺されることである。以前から第3の予言が公開されないのは、ローマ教皇が殺され、教皇が途絶えるのではないかとの噂であった。それゆえ、教皇庁は公表できなかったのではないかという憶測が出ていた。

公文書中の「それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、そして様々な階級と職種の平信徒の人々も次々にそこで死んでいきました。」から、その一端が読み取れないでもない。教皇がいなくなるというのは、ローマカトリックが衰亡するという意味に読み取れる。おそらく元の表現はもっときつかったので、よりソフトな表現にして公表した可能性が強い。またルチアのしたためた文章で民衆に恐怖を呼び起こすことは公開を避けたかもしれない。

もともと、なぜルチアが述べていた1960年には公開してもよいという言葉を教皇は無視したのだろうか。日本では、あまり聞こえてくることはないのだが、ローマカトリックの教会組織内では、司祭や司教などによる小児虐待が根絶できないどころか、さらに強まっているとさえ聞く。また、教皇庁内部が世界的な秘密結社フリーメーソンに浸食されているという情報も飛び交ったことがあり教皇庁自体が腐敗をしていることは多くの人の知るところになっている。

また「教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂の為に祈っておられました。」という一文からは激しい戦争が起こったことが推察できなくもない。戦争がなぜ起こるかといえば独裁者の出現によることが大半だ。その独裁者が、なぜ出現するかといえば、食料にもことかく貧困状態に置かれた民衆が独裁者となろうとする人物の国民を豊かにするという扇動に乗りやすいからだ。

これは私の完全な推測だが、ファティマ第3の予言は、世界の人口増による二酸化炭素排出量の増加による地球温暖化。それによる砂漠化や災害(豪雨、洪水、山林火災など)の増加、穀物生産慮の減少、水の不足問題などによる内戦や隣国同士の戦争、さらにさらにロシア、中国、米国、英国、インドなどの大国を巻き込む世界的な戦争の増加だ。世界的な混乱の中、無神論者が支配する世界が広がり、その象徴としてローマ教皇がキリストと同じように山上でローマ教皇が処刑される。

世界中の多くの人が飢餓や戦争で死に、多くの街は廃墟と化す。ルチアは、聖母マリアからそのような世界のビジョンを見せられたのではないか。
そのような世界を避けるために独裁者で大量虐殺を行い宗教を無視してきたスターリンの死後から少したって、世界が落ち着きを取り戻し始めたころに第3の予言を公開することにしていたのではないか。

しかし、その予言公開は果たされなかった。その背景にはローマ教皇庁内部での腐敗やローマ教皇の保身があったのではないかと想像する。予言の公表により一番説明を求められるのは、教皇庁であり、その頂点に立つローマ教皇だ。

ある意味、現在の混乱した世界や地球温暖化が進む世界の進行を止められなかった一つの原因を作ったのは、バチカン、すなわちローマ教皇庁ではないだろうか。

M林檎

Last Updated on 2022年7月6日 by Editor

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