【モバイル林檎のライフハック】為政者に取り入るラスプーチンたち

為政者に取り入った怪僧として有名なのは、女性の孝謙上皇(後の称徳天皇)に取り入った道鏡、ロシア帝国の皇帝ロマノフ二世に取り入ったラスプーチンです。

道鏡は、八世紀に生きた僧侶で、孝謙上皇に占いなどで取り入り、自らが天皇になるために、孝謙上皇の後ろ盾を利用しました。道鏡を有名にしたのは、宇佐八幡宮神託事件です。

宇佐八幡宮神託事件は、大宰主神(だざいのかんづかさ)の中臣習宜阿曽麻呂が「宇佐神宮より道鏡を天皇の位につければ天下は泰平になる」との神託があったとのと孝謙上皇に奏上した事件です。

天皇の血統を持たない道鏡を天皇にしようとする神託が出たのは、裏で道鏡が画策していたからです。しかし、和気清麻呂が天皇の勅使として宇佐神宮に赴き、神託が嘘であることを確認しました。

これに激怒した称徳天皇は、道鏡を見放し、島流しにしてしまいました。殺されなかっただけでも幸運です。史実には残っていませんが、女性の孝徳上皇と道鏡が男女の仲であったことが、当然のように語られています。

仏教僧である道鏡が、宇佐神宮の神の声を使ってまで、権力者の天皇になりたかったのです。それでは、オカルトの世界では超有名なロシアのラスプーチンはどうでしょうか。

グリゴリー・ラスプーチンは、一八六九年一月九日、シベリアの貧しい農夫の息子として生まれました。道鏡に比べて近代に起こった事件のため、多くの記録が残っています。ラスプーチンは、荒くれ者でしたが、心が満たされないことから二〇歳代後半に熱心なロシア正教の修行僧となりました。彼は不思議な力を持っていて、人々の病気を治療し庶民の信仰を集めるようになります。

ロシア正教を信仰していたラスプーチンは、ある日、異端の宗教(フリスト派)と出会い、ロシア宗教と距離を置くようになります。

フリスト派はセックスなどの罪を犯すことによって魂を浄化するという異端な宗教でした。ラスプーチンが、ロシア宮廷の中に入り込んだ後、彼の生活を調査した秘密警察が、彼の放蕩ぶりに驚いたというくらい、淫らな生活を送っていたようです。

もちろん、ラスプーチンにとって、それはフリスト派の信仰の一部だったのです。ラスプーチンが、ロシア帝国の宮廷に入り込んだきっかけは、一九〇七年四月に血友病患者であったアレクセイ皇太子の治癒を行い、翌日にはアレクセイの症状が改善するという医師にも信じられない成果をあげたことです。

これにより、ニコライ二世とアレクサンドラ皇后の絶大なる信頼を受けることになります。信頼は和すます深まり、そのうちにロシア帝国の政治にも影響を及ぼすし、宮廷に関わる貴族や政治家の恨みを買います。

ラスプーチンは、悪人であるとの証言ばかり残っていますが、信仰に関しては非常に熱心で、人々の改心を促す特別な力を持っていたと言われています。また、未来を予知する力を持っていたとも言われ、ロシアのバルチック艦隊の敗北も予想していたとの記録が残っています。

皇帝ニコライ二世は、困窮する農奴の反乱とバルチック艦隊の敗北が原因で、政治的に追い詰められていました。そこで、ご多忙に漏れずラスプーチンが持つ神秘的な力に傾倒していったのです。特にアレクサンドラ皇后をはじめ、宮廷の女性たちは、ラスプーチンに男性的な魅力を感じるようになり、次第にそれが問題にされるようになりました。

アレクサンドラ皇后がラスプーチンをかばい続けるので、皇后とラスプーチンは、愛人関係にあるとまで噂され、皇后をかばう皇帝も批判されるようになります。

ラスプーチンは、ロシアが、戦争を行うことに反対し農民の肩を持ったため宮廷貴族や政治家から批判され、暗殺事件が起こります。

ラスプーチンは、一度目の暗殺では生き残こりましたが、二度目には、友人と思っていた人物に暗殺され、命を失います。彼の超人伝説は、彼が、ピストルで撃たれてもなかなか息絶えなかったことから生まれました。

ラスプーチンの殺害後、まもなくロシア帝政は崩壊します。ラスプーチンが、本当にロシア帝国を崩壊させたとは考えにくく、権謀術数が渦巻く上流階級の人たちに汚名を着せられた可能性があります。

 

Last Updated on 2022年6月18日 by Editor

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