なぜ、日本発の「忖度」が世界中に蔓延したのか?

2017年、日本の新語・流行語大賞に選ばれた「忖度(そんたく)」という言葉は、当初、日本固有の「阿吽の呼吸」や、特異な政治スキャンダルを象徴するガラパゴスな用語として捉えられていた。
しかし、それから数年を経て、英紙『ガーディアン』をはじめとする海外メディアは、この言葉を「Sontaku」とそのままの音で報じ始めている。それは単なる異文化紹介ではない。世界各地の政治・経済の現場で、日本の「忖度」と全く同じ現象が、より深刻な形で蔓延しているという危機感の表れである。
かつて、日本の忖度は「相手の意向を推し量る」という、繊細な調和を重んじる文化的な美徳としての一面を持っていた。しかし、現代の国際社会で「蔓延」しているのは、その負の側面、すなわち「権力者の顔色を窺い、指示される前に先回りして不正や自己検閲を行う」という組織的な病理である。
「ストロングマン」の台頭と忖度の相関
なぜ今、世界中で「忖度」が求められるようになったのか。その最大の要因は、世界各地で「ストロングマン(強権的な指導者)」が台頭し、民主主義的なチェック・アンド・バランスが形骸化していることにある。
トランプ前米大統領の統治下で見られたように、指導者が明確な命令を下さずとも、「こうあってほしい」という願望や怒りをSNSやメディアを通じて断片的に発信する。それを受け取った官僚や側近たちは、自らの地位を守り、あるいは寵愛を得るために、その断片から「正解」を導き出し、法や倫理を逸脱してまで行動する。
これは「Preemptive self-censorship(先制的な自己検閲)」と呼ばれ、かつての日本の政治スキャンダルで見られた構図と驚くほど一致する。明文化されたルールよりも「ボスの意向」が優先される土壌が、かつては日本特有のものと見なされていたが、今やポピュリズムに揺れる欧米諸国においても、ごく一般的な生存戦略となってしまったのである。
組織における「責任の消滅」という利便性
「忖度」が世界中の権力構造に好まれる理由は、それが責任の所在を曖昧にするからに他ならない。直接的な命令がなければ、後に問題が発覚した際、指導者は「私はそんなことは頼んでいない。部下が勝手にやったことだ」とトカゲの尻尾切りができる。一方で、部下の側も「私は組織のために最善を尽くしただけだ」という論理で、自らの加担を正当化する。
この「無責任の体系」は、現代の複雑化した巨大組織において、極めて効率的な統治システムとして機能してしまう。大学経営や企業ガバナンスにおいても、トップのビジョンが曖昧であればあるほど、現場は「忖度」によってその隙間を埋めようとする。
その結果、組織全体の倫理観が緩やかに沈降していく。英紙が「忖度」という言葉に注目したのは、この「罪の意識なき腐敗」が、今やグローバル・スタンダードになりつつあることへの警鐘なのである。
デジタル社会が加速させる「察する」圧力
さらに、SNSによる同調圧力の強化が、この現象を加速させている。現代社会では、何が「正解」で何が「炎上」の原因になるかを常に察知し続けなければならない。大衆の視線を忖度し、スポンサーの意向を忖度し、アルゴリズムの好みを忖度する。
かつては一部の政治屋やエリート層に限られていた「忖度」という振る舞いは、今や一般市民の日常にまで浸透した。日本が生んだこの言葉が世界中に蔓延した背景には、私たちが「自分で考える」ことのコストを回避し、「正解(=誰かの意向)」に従うことで安全を得ようとする、共通の心理的脆弱性があるといえるだろう。
「忖度」は一時的な潤滑油になるかもしれない。しかし、長期的にはそれは組織の創造性を殺し、健全な批判精神を奪う劇薬である。日本発のこの言葉が「世界の共通言語」となりつつある現状は、私たちが改めて「個の倫理」と「言葉による対話」をいかに取り戻すべきかを問いかけている
参考記事・資料
- Courier Japon: 英紙が分析「なぜ、いま日本発の『SONTAKU』が世界中に蔓延しているのか」
- The Guardian: Sontaku: the word that explains the scandals hitting Shinzo Abe
- The New York Times: The Japanese Word That Might Help Explain the Trump Era





