UIってUser
Interfaceのことじゃありません。
Utilizing
the information のことです。
そのものズバリ、情報の活用のことで、情報をいかに活用し、新しいものを生み出すかが重要だと考えている私個人が勝手に言っているだけの言葉です。
直感的に操作できるiPadの登場によって、もう世の中はパソコンなどのIT機器を使いこなすこと自体が重要ではなくて、ますます、その先の情報を集取し、分析し、自分流に情報をアウトプットすることが重要になっていくるはずです。
実はiPadやiPhoneなどのスマートフォンがもてはやされる背景には、情報の扱い方が変わってきていることが挙げられます。
従来ならば、情報といえば紙の新聞がテレビのニュースが主流でしたが、今ではモバイル端末さえあれば、ネットでいつでもどこでもニュースや情報を仕入れることができます。ちょっと詳しければ、グーグルなどでニュースに「キーワード」を設定して、まとめてみることができますし、RSSリーダーを使えば、自分が登録したサイトの更新情報をまとめてチェックすることができます。
会社の業務でもスケジュール調整や諸連絡はほとんどパソコンで行うことが当たり前になり、共同作業も(多大なコストがかかるので)会議を頻繁に開かなくても、パソコン上で進行状況などの連絡を取り合いながら、どうしても相対して議論する必要に迫られる場合にだけ集まるといった手法をとることができます。
これだけ便利になってくると、仕事が効率化されて楽になるかといえば、そうではありません。その点が働く人にとっては苦しいところです。効率化が進めば逆に仕事はますます忙しくなってきます。無駄な事務作業がなくなり、PC上のデータが蓄積されるということは、いつでもどこでも、それにアクセスし、仕事をすすめるというニーズが生まれてきますし、必然的に会社もそれを推し進めます。
そこにスマートフォンやiPadなどの(古い表現ですが)情報端末の価値が生まれてきます。簡単な操作で、いつでも、どこでも情報にアクセス、情報を分析、加工、作成し、参加者に送ることができます。
しかし、最終的に重要なのは、時間とアウトプットされた情報生産物に価値があるかどうかです。価値を高めるためには、情報の収集力、分析力だけではなくて、感受性も求められてきます。この感受性は持って生まれ持ったものあるでしょうが、日常的に情報に接して、情報への見識眼を磨かなければ、感受性も高まりません。
先日、名古屋の大学がiPadを学生に無償配布するというニュースがありました。もちろん、iPadのような新しいツールに触れさせて慣れさせるということも重要ですが、それ以上に情報収集、分析、加工などの基礎能力と情報への感受性を高める必要があるでしょう。
資料をiPadで配布することは、非常に便利ですし、メールやカレンダーで機能でコミュケーションがとりやすくなるでしょう。問題はその先です。その先の能力を身につけさせるためには、教える側の本質的な力が問われます。資料を電子データで配布し、学生側がそれを受け取ると、それだけで何となくお互いに満足してしまう恐れがあります。従って教育する側もされる側の学びの本質に迫る必要が出てきます。
このようにiPadの登場は、携帯電話が登場した時のように世の中のコミュニケーション方法やライフスタイルを大きく変える可能性を秘めています。それはビジネスや教育現場の外的な世界だけでなく、より私的な世界も変えるでしょう。iPadで出張中やちょっと開いた時間に自分の好きなビデオを見たり、ネットで情報を見たり、ブログで意見を書き込んだり、時間を有効に活用できます。自分の好きな本をネットで購入し、ダウンロードをして持ち歩いたり、愛蔵書をPDF化して、読み返したりと様々なことができます。
iPadの本当の魅力は、ますますタイトになる時間を有効に活用しながら、その合間をぬって、小さな息抜きの時間も創造できることです。これがビジネスマンがiPadを買う本当の理由でしょうか?
Last Updated on 2010年5月16日 by Editor
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